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横浜地方裁判所 平成元年(行ウ)17号 判決

原告

飯島淑子

右訴訟代理人弁護士

三枝信義

被告

川崎南労働基準監督署長常松威夫

右指定代理人

野崎守

松本智

宮路正子

毛利深雪

原敏之

小俣圭司

岸田尚宏

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和六一年三月二〇日付けで原告に対してした労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和三一年四月、味の素株式会社(以下「訴外会社」という。)に雇われ、本社及び中央研究所に勤務した後、昭和五三年七月から川崎工場総務部診療所の薬剤師として勤務していた。

2  原告は、昭和五七年一〇月二一日から同年一一月一日にかけて川崎工場内で実施された従業員の定期健康診断(以下「本件健康診断」という。)の際、同年一〇月二一日、同月二三日と同月二五日から同月二八日までの合計六日間レントゲン登録受付事務(以下「本件受付業務」という。)を一人で担当した。

3  本件受付業務の内容は、(1)健康診断受診者各自が持参した健康診断個人表を受け取り、本人に間違いないか確認する、(2)同表のフィルム番号欄に重さ二七二・七グラムのナンバリング機を用いて番号を打刻する、(3)同表の健康診断年月日欄に日付のゴム印を押す、(4)受診者の所属、氏名を聞き取りながらこれをボールペンで名簿に記入する、(5)三交替勤務者であるかを確認して、三交替勤務者については体重を測定し、その結果を同表の体重欄に記載する、というものである。

本件受付業務は、いずれの日も、午前八時三〇分から午前一一時三〇分までの三時間行われ、その受診者の数は、一〇月二一日が三三六人、同月二三日が二三一人、同月二五日が三五六人、同月二六日が三二〇人、同月二七日が二六六人、同月二八日が二〇四人であった。

4  原告は、本件受付業務をしたため、同月二七日に右肩から右上腕にかけて重い痛みが、次いで翌二八日には右手指にしびれが生じたので、同年一一月一日以降同月二一日まで休業して医療法人社団浩邦会日比谷病院(以下「日比谷病院」という。)で治療を受けた。その結果、軽快したので、翌二二日から通常の勤務に服していたところ、昭和五八年四月下旬ころになってそれまで漠然としたものであった右腕の痛みが強い痛みに変化したので、同年五月中旬から約六か月間の入院期間を含めて約一年間休業し、昭和五九年五月二一日復職した。その後も昭和六一年六月下旬まで社会保険中央総合病院等で治療を続けた。

5  原告は、労働者災害補償保険法に基づき、昭和六〇年一一月一九日、被告に対して同年九月に社会保険中央総合病院で受けた治療について療養補償給付の請求をしたところ、被告は、昭和六一年三月二〇日、右請求について、これを支給しない旨の決定(以下「本件処分」という。)をし、その旨を原告に通知した。

6  原告は、本件処分を不服として審査請求をしたが、昭和六二年一月三一日右審査請求は棄却され、更に、平成元年五月八日、再審査請求についても棄却の裁決がなされた。

7  しかしながら、社会保険中央総合病院における前記治療は原告の業務上の傷病についてなされたものであるから、本件処分は違法である。

よって、原告は本件処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1、2、5及び6の各事実は認める。

2  同3の事実中、原告が本件受付業務に従事したときの一日の作業時間及び業務の内容がナンバリング機による番号の打刻、ゴム印による日付の押印、ボールペンによる受診者の所属、氏名、体重測定結果の記載であったことは認めるが、その余の事実は知らない。

3  同4の事実中、原告が昭和五七年一一月一日以降日比谷病院、社会保険中央総合病院等で診療を受けたことは認め、その余の事実は否認する。

4  原告が従事した本件受付業務が原告の通常業務に比較して多忙であったということはできるが、原告は過去において八回、それぞれ二日間程度同種の業務に携わったこともあり、その作業態様、作業時間からして上肢その他身体に過度の負担をかけるものではない。原告の頸椎には年令相応の退行変性があり、原告の症状はこれが原因で発症したものと考えられるから、本件受付業務を有力な原因として発生したということはできず、業務起因性はないというべきである。

第三証拠(略)

理由

一  原告が昭和三一年四月訴外会社に雇われ、本社及び中央研究所に勤務した後、昭和五三年七月から川崎工場総務部診療所の薬剤師として勤務してきたこと、原告が昭和五七年一〇月二一日から同年一一月一日にかけて川崎工場内で実施された本件健康診断の際に、同年一〇月二一日、同月二三日と同月二五日から同月二八日までの合計六日間本件受付業務を担当したこと、その業務の一日の作業時間は午前八時三〇分から午前一一時三〇分までで、業務の内容がナンバリング機による番号の打刻、ゴム印による日付の押印、ボールペンによる受診者の所属、氏名、体重測定結果の記載等であったことは、当事者間に争いがない。

二  (証拠略)の結果を総合すると以下の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

1  原告は、昭和五三年七月から訴外会社川崎工場の診療所に薬剤師として勤務し、主に処方箋に基づいての調剤、薬品の購入、保管等の業務に従事し、そのかたわら、同年秋からは毎年二回実施される従業員の定期健康診断の業務に携わってきた。

従前は数日に亙って実施される定期健康診断のうち二日間の各午前中の約三時間、診断受付事務、尿のコップの受け渡し、視力検査の補助等の業務を行っていたが、昭和五七年一〇月二一日から同年一一月一日まで行われた本件健康診断の際には、同年一〇月二一日、二三日と二五日から二八日までの合計六日間午前八時三〇分から午前一一時三〇分ころまで業務に従事し、しかも、その業務の内容は、(1)健康診断受診者各自が持参した健康診断個人表を受け取り、本人に間違いないか確認する、(2)同表のフィルム番号欄に重さ二七二・七グラムのナンバリング機を用いて番号を打刻する、(3)同表の健康診断年月日欄に日付のゴム印を押す、(4)受診者の所属、氏名を聞き取りながらこれをボールペンで名簿に記入する、(5)三交替勤務者であるかを確認して、三交替勤務者については体重を測定し、その結果を同表の体重欄に記載する、というものである。その受診者の数は、一〇月二一日が三三六人、同月二三日が二三一人、同月二五日が三五六人、同月二六日が三二〇人、同月二七日が二六六人、同月二八日が二〇四人にのぼるものであり、これを原告が一人で処理した。

2  原告は、本件受付業務に従事中の同月二七日に利き腕の右腕に痛みを覚え、翌二八日には右手の指がしびれて物を持てない状態になった。

そこで、同年一一月一日、会社を休み、日比谷病院で診療を受けて以後同月二一日まで休業した。

同病院での診断による傷病名は頸腕症候群である。

3  原告は、前記休業中症状が軽快したため、同月二二日出勤し、以後、昭和五八年五月上旬ころまで通常勤務に就いたが、なお体調が完全とはいえなかったため、昭和五七年一二月四日から昭和五八年五月中旬まで三浦医院に通院した。原告の三浦医院での初診時の主訴は偏頭痛、昭和五七年一二月一七日のそれは不眠と頭痛、同医院の診断による傷病名は変形性頸椎症、肩関節周囲炎、頸部神経根症で、レントゲン所見に頸椎の変形と肩関節部の変形がみられるというものである。

4  しかし、三浦医院に通院中の昭和五八年四月下旬になって、右腕の痛みが強くなったため、同年五月四日から芝病院に転医し、同日から同月二七日まで右病院で通院治療を、同年七月五日から同年一一月四日まで医療法人社団善仁会南熱海温泉病院(以下「南熱海病院」という。)で入院治療を、同月五日から同月二九日まで千葉大学医学部付属病院で通院治療を、同月一六日から昭和五九年六月三〇日まで社会福祉法人三井記念病院(以下「三井記念病院」という。)で入通院治療(うち同年一月一八日から同年三月二四日までが入院治療)を、同年七月六日から昭和六〇年二月七日まで東京大学医学部付属病院分院で通院治療を、昭和五九年九月二一日から昭和六一年六月下旬まで社会保険中央総合病院等で通院治療を受けた。

この間、昭和五八年五月一一日から断続的に、同年六月六日から継続的に昭和五九年五月二〇日まで休業し、通常勤務に戻った。

5  芝病院での原告の主訴は右腕の痛みで、これに対する同病院の診断による傷病名は頸部脊椎症であり、南熱海温泉病院での原告の主訴は右上肢のしびれ感で、これに対する同病院の診断による傷病名は頸腕症候群であるというものである。千葉大学医学部付属病院での原告の主訴は上肢知覚運動傷害、疼痛、項頸背部痛で、これに対する同病院の診断による傷病名は頸椎症性神経根症で、第五、六間頸椎後方に骨棘形成が認められるというものであり、三井記念病院での原告の主訴は右肩から上腕にかけての痛み、手指の痛みとしびれ感、これに対する同病院の診断による傷病名は右頸部神経根症で、頸椎第五、六椎間板狭小化がみられたが、筋力、腱反射に異状はないというものである。東京大学医学部付属病院分院での原告の主訴は右頸部から前腕の疼痛、右肩の運動制限、これに対する同病院の診断による傷病名は頸部脊椎症神経根症で、第五、六頸椎後方の骨棘形成、椎間孔の狭小化が著明であるというものであり、社会保険中央総合病院での原告の主訴は右肩関節自動運動の制限、右上肢痛、これに対する同病院の診断による傷病名は右腕神経叢麻痺、肩甲上神経痛で、尺骨神経領域の知覚異常、右三角筋に軽度の筋萎縮、第五、六頸椎骨棘形成が見られるというものである。

この間の昭和六〇年一二月に関東労災病院で行ったレントゲン検査によっても、第五、六頸椎間狭小、その後方に骨棘、神経孔狭小が見られた。

6  原告は、本件受付業務に従事する前は、昭和五五年一一月から昭和五六年六月まで、偏頭痛、肩凝りを訴えて柳田診療所に通院したことがあり、また、血圧も高めであったものの、上肢の痛みやしびれを感じたことはなかった。

7  原告は、本件受付業務当時、四九歳であった。

三  右認定のとおり、原告は、軽作業を日常的な業務としていたところ、昭和五七年一〇月二一日から始まった本件受付業務として担当した作業は、その作業時間、作業内容、作業量からすると短期間ではあるが原告の上肢にかなりの負担がかかるものであったとみられること、その作業に従事した直後に利き腕である右腕に痛みとしびれを感じ、物を持てないほどになって同年一一月一日から休業して通院治療を受けていること、本件受付業務以前には右上肢の痛みとしびれを感じたことはなかったことからすると、本件受付業務がその業務中に発生した右腕の痛みやしびれ感の発生の原因であることを否定することはできない。

しかしながら、原告は、右症状発生直後の同年一一月一日から同月二一日まで休業し、日比谷病院で治療を受けた結果、症状が軽快し翌二二日から昭和五八年四月下旬ころまで通常の勤務に就いていたこと、昭和五八年一一月以降の症状については、受診した千葉大学医学部付属病院、三井記念病院、東京大学医学部付属病院分院、社会保険中央総合病院等において、いずれも、第五、六頸椎椎間の狭小化、骨棘の形成等の頸椎の病変が指摘され、これがその症状の原因となっているとみられており、しかも、その病変は主として経年によって形成されるもので、本件受付業務における作業から生じ得るような性質のものではないことからすると、本件受付業務を原因とするとみられる前記の症状は、直後の治療と休養により消失し、本件処分にかかる療養当時の症状は、本件受付業務とは関係のない、多分に加齢によるところの大きい頸椎症に起因するものであると認めるのが相当である。

四  以上の次第で、本件処分にかかる原告の社会保険中央総合病院における診療は、業務上の傷病のための診療とはいえないから、これを理由に原告の療養補償給付の請求を認めなかった本件処分は正当であって、その取消しを求める本訴請求は理由がない。

よって、本訴請求を棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林亘 裁判官 山本博 裁判官 吉村真幸)

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